調和しているということ

今日もいつものカフェに来ています。ゆっくりと呼吸をして、しばらくすると手の平に、じわっーとした感覚が広がります。
そして一気にクールダウン。TREで余剰な興奮のエネルギーが解放される時と同じような感覚。いかに日中、高ぶった神経で仕事をしていたのかを実感しながら。でも、この交感神経が高ぶった状態も、仕事を前に進めてくれる大切な私の状態の一つ。オンとオフを調整しながら日々を歩めれば大丈夫。

忘れないうちにメモ。先週末、ダンスセラピーに参加した時の出来事。小学校入学前の女の子とお母さま、ファシリテーターの方、そして私の4人での少人数のクラス。お母さまいわく、お子さまは言語でのコミュニケーションを得意としていないとのこと。でも、ちゃんと私達と心を通い合わせられていた。それだけ、言語に頼らずとも非言語でたくさんのことが分かってしまう感性の持ち主なのだと思った。さらに、時間に対する感覚があいまいとのこと。昨日の出来事という概念が、はっきりと区別されていないらしい。すごいな、と驚いた。”今、ここ”に在るのか、と。私たち大人が求めていることを、当たり前の状態として体現しているかのよう。このままの感性で、健やかに大きくなりますように、と願った。

ペアになって指先だけを触れ合って動くダンスでのこと。目を瞑って、何も考えずに、音楽に身を委ねる。動いても、動かなくても、どちらでも良いのだろう。でもある時を境に、触れ合っていた指先は自由に動きだした。上下へ、左右へ。弧を描くように。床すれすれから空高くへとラインを描くように。おそらく5分くらいの間。力を入れて動かしている感覚はない。触れ合っている指先に感じる弱い圧力は一定のまま、動く行く先は分からない。でも迷い淀むことなく一つのラインを描いているようだった。
これが命が調和している状態なのだろう。一人一人が力を抜いて、ただそのままの姿でいるだけで、全ての命に調和した動きが自然と生まれるのだと思った。その時間は伸びやかさと喜びに包まれていた。
この感覚を日常生活へと広げていけますように。この感覚を忘れませんように。


2016-06-01 | Posted in 日々のことNo Comments » 

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