心を注ぐということ

私の心の中での緩やかな変化を書き留めさせて下さいね。
ずっと研究開発の仕事に携わっていて、物を創るということから離れられない気持ちがありました。創造すること=目に見える形あるものを創ること、だという思いが離れなくて。自分が意識を注いだことが目に見える形になって、それが世の中のお役に立つことに意味がある、という思いが離れませんでした。(父もそのような仕事をしているので、その影響が大きいのかもしれません。)

最近、自分の意識、心や想いを注ぎさえすれば、目に見える形にならなくても良いのだと思うように変化してきました。形あるものを通して、喜びを届けたり豊かだと感じる生活を支える道ではなくても、形を介せずに、直接、人の心の中に喜びを届けたり豊かさを届ける道もあることが認められるようになって。何か目に見える形を残さなくては価値がない、という思いが手放されつつあるかのようで。

研究のお仕事をさせて頂いている中で、形としてずっと残る論文などに仕上げてこそ価値がある、と私は思い込んでいました。私の上司は、この瞬間のワクワク楽しいことを研究なさっていて、私から見るとあまり形に残そうとしない点が不思議だな、と常々感じられて。でもそのワクワク感は一緒に研究している皆さんに伝わっていて、皆さんもずっと楽しそうで。5年間一緒に仕事をさせて頂いて、やっとそれでいいのだな、と気づかせて頂いて。研究開発の世界ですら、形にすることも大切だけれど、それ以上に喜びを共にすることが大切なのだと教えて頂いたかのようで。

喜びに繋がることに心を注いで、目に見える形を介さずに直接相手に届けるということ。私にとって今後に繋がるありがたい気づき、心の中の変化だと感じられています。


2015-01-08 | Posted in 日々のことNo Comments » 

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